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第22号(2020-01-31) >

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タイトル: 大正・昭和初期における大阪築港埋立地の土地利用と水運
その他のタイトル: Land Use and Water Transportation in the Landfill of the Port of Osaka in the Taisho and early Showa Period
著者: 伊藤, 敏雄
ITO, Toshio
キーワード: 都市計画
工業地域
水運
大阪港
city planning
industrial districts
water transportation
port of Osaka
発行日: 2020年1月31日
出版者: 京都女子大学現代社会学部
抄録: 本稿の目的は、主に、大正・昭和初期における大阪築港埋立地を都市計画用途地域の中に位置付け、その土地利用の実態を明らかにすることである。大阪築港埋立地の利用区分は、明治39年(1908)の内務省による埋立地の大阪市への下付と第一次世界大戦による経済発展の影響を受けて、埠頭地区と新千歳町地先埋立地においてなされるようになった。当該期の同市港湾課長は、各種建築物の混在は港湾能力を減殺させるため、その回避は不可欠としていた。大阪市の臨海地域の都市計画は、この築港埋立地の利用区分を踏まえてなされ、またその利用区分がその後の各地区の産業発展を規定することにもなったと考えられる。この点に関して、築港埋立地における複数の運河は、周辺地区の工業地域等への指定やその後の倉庫や工場などの発展に、市内の主要河川とともに大きく関わっていた。 The purpose of this study is mainly to locate the landfill of the port of Osaka in the use districts of the city planning and to clarify the actual usage in the Taisho and early Showa period. The use division of this landfill was made after the granting to Osaka City by the Home Ministry in 1908 and by the influence of the economic development in the First World War period. The city planning of the coastal area of Osaka City was based on this use division, and it can be considered that the division also defined the development of various industries in each district after that. And several canals at this landfill were associated with the designation of surrounding area as industrial districts and subsequent development of warehouses and factories.
URI: http://hdl.handle.net/11173/3014
出現コレクション:第22号(2020-01-31)

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