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第18号(2015-11-30) >
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http://hdl.handle.net/11173/2285
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タイトル: | 「認識─論の意義と課題」とは何だったのか : エドゥアルト・ツェラーの場合 |
その他のタイトル: | What was the 'meaning and task of Erkenntniss-Theorie'? : In case of Eduard Zeller |
著者: | 渡邉, 浩一 WATANABE, Kouichi |
キーワード: | 認識論 エドゥアルト・ツェラー 新カント派 Erkenntnistheorie Eduard Zeller Neo-Kantianism |
発行日: | 2015年11月30日 |
出版者: | 京都女子大学現代社会学部 |
抄録: | エドゥアルト・ツェラーによる1862年の講演「認識─論の意義と課題について」は、「認識論」という哲学的ディシプリンの普及・定着に大きな寄与をもたらしたものとして、かつてしばしば言及された標準的業績である。当の語そのものに関しては、知られるところでは、1819年のテンネマン『哲学史』(第11巻)の用例が初出であり、また形而上学および論理学という他のディシプリンとの区別についても、エルンスト・ラインホルトによって遅くとも1827年には明示されている。これに対してツェラーの寄与は、先立つ大著『ギリシア人の哲学』で得られた広範な哲学史的展望のもと、認識論を近代哲学の中心問題として位置づけ、今後そこにおいて探求されるべき課題を指し示した点にある。そうした経緯を確認しておくことは、このディシプリンの現状と今後について考えるうえでも無意味ではないだろう。 It had been often referred that Eduard Zeller's lecture 'On meaning and task of epistemology'(1862) contributed to the spread and fixing of the new philosophical discipline, i. e. epistemology (Erkenntnistheorie). As it is known, the word 'Erkenntnistheorie' could be coined by Tennemann in his History of Philosophy (1819), and its distinction between metaphysics and logic has been made clear as early as in 1827 by Ernst Reinhold. On the other hand, Zeller put the discipline at the center of philosophical problems in modern times, and indicated its issues to be explored future, on the basis of his historical perspective which has been acquired in his previous work, Philosophy of Greeks. For considering the present and future of the epistemology, it would not be meaningless to know the history. |
URI: | http://hdl.handle.net/11173/2285 |
出現コレクション: | 第18号(2015-11-30)
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